空腹

はらがへる。はらがへるので、ものをたべる。

台所へいき、冷蔵庫をひらく。中身はあまりない。備えておくと腐らせてしまう。納豆とちいさな豆腐をひとパックずつ。豆腐はマグカップにかぶるくらいの水といっしょにいれて、電子レンジへ。六百ワットで二分も温めれば簡易湯豆腐のできあがり。湯を捨てて、あたためのあいだにかきまぜておいた納豆をいれる。適当に醤油をかけて、ざくざくとまぜて、シンクの前で立ったまま啜る。簡単だが、まあまあうまい。冷蔵庫、チルド室に鶏むね肉の塊があった。一キロ。賞味期限はあさって。はやくどうにかしてやらねばならないが、一キロの肉をあれこれするのはどうにも億劫で、いつまでもやる気がでない。切って、漬けて、しまうだけだ。それだけのことをためらって、いつも賞味の当日にやっと片づける。肉。肉をたべたかった。昨日の私が億劫がらずに下ごしらえをしていてくれたら、いまごろ適当に焼いてはらを満たせたのだが、しかたない。野菜室にはたしか、人参、南瓜、ほうれん草と長葱がある。なんでもかんでもいれてしまって、雑多な味噌汁でもつくろうか。包丁とまな板を出さなくては。腕をのばして、つかんで、手に入れて、したくをする。ああ、やはり、億劫だ。はらがへる。ずっと、はらがへっている。

マグカップはすっかりからになっている。水につけて、納豆の臭気をごまかす。すぐに洗えばいい。そのほうがずっとらくだ。しかし、どうか、億劫だ。淹れっぱなしで置いてあった四杯目の紅茶で口をすすぐ。紅茶風味の水のような何かはなかなかどうして悪くない。こんな飲み方ばかりするから、胸をはって紅茶好きと申し上げるのがどうにも憚られる。目玉クリップでとめられて、キッチンの端にほうりなげられたままの茶葉の袋をてのひらにころがし、ころがし。きちんと温度をはかった湯でていねいに淹れてくれるおうちのほうが、おまえたちもしあわせだったろうか、などとぼやく。昨日、封をきったばかりのニルギリがおかしそうにわらっている。つられてわらう。どこにいようが、どうされようが、紅茶は紅茶だ。変わるまい。おまえはいっとうおいしいよ。しかし、はらがへっている。

週末の買い出しのとき、パンを買っておけばよかった。あるいはごはんを炊いて、冷凍しておけばよかった。炭水化物ばかりはらに詰め込んでよいことはあまりないが、パンはバターを塗っただけでうまいし、ごはんは塩をふっておにぎりにするだけでうまい。糖質をとりすぎてもよくないが、とらないのも頭がまわらなくなったり、頭痛がしてきて、よくない。あれがよい、あれがわるい、そんなことよりもはらをみたしたい。はらをいっぱいにしたい。じゅうぶんにみたされたはらをかかえて、欠伸をして、食べてすぐにねると牛になってしまうんだから、もうすこし起きて神さまをごまかさなけりゃあなどとおもいながら、横になって、膝をかかえてまあるくなる。それで、夢をみるんだ。はらいっぱいでみる夢なら、きっと、たいそうしあわせな夢だ。それで、ともかく、はらがへっている。

蛇口をひねり、コップに注いだ水を飲む。へやにもどり、デスクについて、はらをさすりさすりして、ささやく。そんなにずっとへっているはらがあるもんか。だいじょうぶ、おまえはじゅうぶんいっぱいだよ。いっぱいたべて、くちくなったよ。

Author: 柾千樫